峠の力餅‐峠駅立ち売り(窓越し販売)
  2026年5月 峠駅立売り125周年 [ it's a traditional rural railway landscape ]

 2026.10  5代目少年期の旧型客車の原体験を旅情イラストにして複数挿入


奥羽本線開通直後、明治34(1901)年5月から
”峠の力餅”を峠駅にて駅立ち売り(窓越し販売)を
始めて125年。汽車から、電車に代わり、旅の情緒を
あまり感じなくはなりましたが、”峠の力餅”はますます
健在。スイッチバックが廃止され、トンネル内(正しく言
えばスノーシェッド内)にプラットホームがあるという、
ちょっと異世界へ飛び込んだような峠駅で、今日も変わ
らず力餅を売る声が響き渡ります。

   ↓↓↓取材記事↓↓↓
 ◆【ひとりでもお客さんが来てくれる限り JR東日本唯一の立ち売り駅に響く、1回30秒の餅売りの声】
     正式な依頼による取材、当店の校閲を経た当店公認の記事です   2024.3.31公開


## ―目次― ##
[1]峠駅にて125年、駅立ち売り(窓越し販売)と峠駅時刻表
[2]峠駅と駅立ち売り(窓越し販売)の変遷
[3]高速化・効率化・時間短縮時代における絶滅危惧職種の矜持
[4]駅立ち売り(窓越し販売)余話 この難しさは「販売可能時間約30秒」これに尽きる
[5]資料 峠駅立ち売り 開業当時の許可書
[6]駅立ち売り(窓越し販売)文化を残したい‐5代目語る →GO 

[1] ## 峠駅にて125年、駅立ち売り(窓越し販売)と峠駅時刻表 ##

旧峠駅にて先代(4代目)の立ち売り−1990年スイッチバック最後の夏

現在の駅弁売りの主流は「出店型‐駅構内販売」及び「車内積み込み販売」であろう。
当店が継続している「振り売り型‐窓越し販売」はこの国では絶滅危惧業種であるのが
実情。
 (2019/2/20 鉄道文化のなかで「ポスト立ち売り」であり、一時期はカリスマ販売員も注
目を集めた「車内販売」も終了、縮小へとのアナウンスがありました。旅情を感じる風景
もまたひとつ消えてゆく潮流なのでしょうか)

現在、山形新幹線のタイトスケジュールの
合間に運行の在来線での立ち売りは極めてシビア。時間の制約とのたたかい。







【試験的にメールでの問い合わせも受付いたします】


予約対象の電車:
  �@8/17〜12/29 ← 8時台〜18時台は通常立ち売りを行います
  ※1(店舗営業時間外の) 7時台、19:00〜20:59は2箱以上の予約で立ち売り可
  ※2安全上の理由で22時台の立ち売りは休止
    (降雪期、積雪急増により朝晩駅まで出向けない場合有り)

 �A12/30〜1/3[年末年始]峠駅13時台の電車は予約停止、先着順に販売
                   〃13時台、22時台の電車以外対応可

 �B1/4〜1/8 ↑上記�@と同じ

 �C1/9, 1/10, 1/11[大学入試センター試験直前の週末⇒合格祈願詣]
         ↑上記�Aと同じ

 �D1/12〜 ↑上記�@と同じ


必要情報:
  �@乗車(購入)予定日 �A上記の峠駅発車時刻
  �B商品数         �Cお名前、ハンドルネーム等

※立ち売りは時間の制約とのたたかい。ご予約された方を0.1秒でも早く特定し販売、速やかに次のお客様に向かえるかがキモとなります。乱暴な言い方をするなら、高橋さん・佐藤さんというよくある姓より、本名ではなく、瞬時で判別できるハンドルネーム(ただし、シンプルであること)でのご予約も有りだと考えています。長いものや意味を解せない羅列のようなハンドルネームもNGです。反対に住所や連絡先などは必要ありません。



  mail@togenochaya.com ⇒mail@togenochaya.com

乗車前日までにお問い合わせください。但し、年末年始・ゴールデンウィーク・お盆・大学入試直前の合格祈願詣で 等の混雑が予想される13時台の列車に限って予約停止。先着順で販売とさせていただきます。

【Q: 当店からの返信メールが届かない…】
 A:キャリアメール(docomo, au, softbank, rakuten, ymobile, uqmobile)
   をご利用の場合、返信メールが「迷惑メールフォルダ」に振り分けられる
   場合があります。そちらもご確認ください。

                                    







                  



[2] ## 峠駅と駅立ち売り(窓越し販売)の変遷 ## 5代目のコメントをつけて…

キーワードは 「旅情」 「車窓」 「家業・暖簾を継ぐ」

参考動画 1990年8月26日旧峠駅 「さよならスイッチバック号」

参考動画 4駅連続スイッチバック前後面展望

参考動画 50型客車時代の峠駅(5代目小学高学年時の記憶)

参考動画 旧型木造客車時代の峠駅(5代目小学低学年時の記憶)
↑これぞ昭和。峠駅発車のとき手動のドアは開きっぱなし。だから、ほんとに動き始めた
汽車から飛び降りたり、飛び乗ったりしてたんですよ。小学低学年の小坊主が。

参考動画 板谷峠越え列車について学ぶ

参考動画 さらに深掘り、板谷峠越えに挑んだ蒸気機関車について学ぶ



2007年 スノーシェッド内の峠駅にてレアな4代目・5代目の立ち売り共演
ご存じですか?4人対面シートでは窓が開閉可能なんで本当の窓越し販売


1977年 上の写真の30年前。貴重な3代目・4代目の立ち売り共演
写真右上が、本線からのスノーシェッド(2026年現存してます)
4代目の奥に駅員が!さらに奥に貨物係まで!車両も手動ドア。懐かしい。
余談ですが、この時代の車両シートに「瓶の栓抜き」あるんです。飲料は瓶詰の時
代、王冠集めが子供の遊びだった。ああっ、車内に扇風機もあったこと思い出した!


1990年の4代目 前出2枚の写真のちょうど中間の時代か。車両のドアが自動にな
っている。窓は全席開閉可ではあったかな。客車はもはや2・3両だけの編成になって
いる。そのくせ機関車は重連で力を持て余している。。せっかくの重連なんだからたく
さん牽いてくれたらカッコイイのだが。


2代目の立ち売り、大正時代の頃のイメージ。E4110型蒸気機関車が力強く峠路を走り
抜けた。


2004年 5代目の本音としては、近代的電車よりレトロな木造旅客列車で売ってみ
たい。残念ながら標準軌になった今、かなわぬ夢であるが…。


現店主の祖母(3代目)の立ち売り、終戦後復興期のイメージ。EF16型電気機関車時代


1990年 スイッチバック廃止イベント時の4代目 力餅が山積み!!
EF71とED78の重連ももはや40年近く前の記憶


初代の立ち売り、明治時代のイメージ。ドイツ製B6型蒸気機関車をこの板谷峠に投入し
た。


     


1990年は全国の鉄ちゃんがスイッチバック4駅に集結(赤岩駅はお隣福島市なも
ので「米沢市広報」では3駅しか列挙していない)峠駅下りホームの写真。


1990年 峠駅前には娯楽施設はない。登山や湯治客がわずかにいるだけのはずの峠
駅だが…、そうこの方がたはスイッチバックを味わう目的でこの駅に降り立った。


1990(平成2)年の夏「板谷峠さよならスイッチバック」は連日キャパオーバ
ーの来訪者が来た。写真の後ろ姿の売り子は当時13歳だった5代目(コンプライア
ンスにうるさい現在ではありえない)。多感期だった頃だから、立ち売りしつつも、写
真には撮られまいとしていた。
 客車の窓は開けっぱなし、これこれ、これが現在ではできなくなった。
 この一大イベントの特徴は夏休みのタイミングだったことで、約1か月間人の出
入りが激しかったことだ。自分は夏休み中立ち売りヘルプ。来訪者も自分より年下の
鉄キッズも多かった。親は一緒に来ていない。子供たちだけの冒険だ。携帯電話のない
公衆電話の時代、でもおおらかだった時代。



5代目の立ち売りデビューは11歳のとき。(当時、家業を継ぐ者という概念が残
っていた時代だから、周りの大人から祝福の言葉をもらった。現在では11歳が立
ち売りしていたら、労基に通報が行くだろう)
きっかけは、学校の「特色ある教育」の一環で「親の職場体験」を学校の授業として行
ったときだ。とは言え、簡単な軽作業体験とかではなく表に立つ体験をさせるとは、学
校の先生もびっくりしただろう。



1971年 中央の老爺が当店3代目。背後に押しつけた雪の壁。現在と違い客車の編
成が長い。7・8両以上か。立ち売りも一人ではまかなえず。3代目(祖父)の右に3
代目の娘。(自分からみて伯母)総動員でこなしていた。
 参考までに、写真奥はスイッチバック支線の行き止まり。でも行き止まりなのにスノ
ーシェッド(雪よけ)があります。なぜか?ここ峠駅は文字通りどちらも坂を下ること
になる。そのため、蒸気機関車の時代は機関車を前後入れ換えをおこなっていた。その
ために線路最奥に退避線進入のためのポイントがあり、ポイントのためのスノーシェ
ッドを設置したわけである。(このスノーシェッドも現存している)


1965年峠駅 自分の父である4代目が学生だった頃 スノーシェッドが現在とおん
なじだ。ちょうど汽車が進入してるあたりが、スイッチバック廃止による駅の移動後
「当店築山庭園」として生まれ変わった。


明治時代の峠駅?? 絵葉書らしい
「奥羽線峠停車場……是より姥湯温泉迄二里(桝形屋旅館)」と書いてある
架線がないから蒸気の時代。写真左の斜面がそのまま峠スキー場だ。すごいなあ、滑り
降りたら直で線路上にたどり着いてしまう。


昭和40年代?? 冬の3代目立ち売りスタイル
力餅以外につまみやサイダー、カップ酒が販箱に入っている。
駅立売りは当然、国鉄より許可を得てやらないといけない。3代目著『峠の力餅八十年
の歩み』にある販売許可書の写しから書き出してみると…
�@大正三年の許可書−売品種類 茶、酒、鶏卵、菓子、餅、果物、サイダー、煙草
�A昭和拾年の許可書−販売品目録 力餅、パン(おそらく乾パン)、羊羹、キャラメ
ル、時雨の松、ゆべし、のし梅、ビール、金深サイダー、沖政宗、御茶、果実類(蜜
柑、梨、桃、林子、季節より)、煙草、郵便切手類、官製葉書
デジタル媒体や読み物の普及していない時代、車中で家族に手紙を書いたり、乗
り合わせた人たちと食べて飲んで喫煙して…車中の活気を想像できます


昭和50年代?? 夏の4代目立ち売りスタイル。夏は餅よりも冷えた缶ビールとか、
つまみが売れていたとか。


2004年 スノーシェッド内の新駅での5代目立ち売りスタイル
かつては、力餅もその他の食べ物も購入したら即車中で食べるのが普通だった。食べ殻
は車中に置いて下車したもの。スイッチバック廃止後のタイトな停車時間では「お土産
の力餅」1本の販売とならざるをえない。。


昭和50年代の旧型客車内。スマホも携帯ラジオすらも無い時代、乗客は車窓を楽し
み、会話に花を咲かせた。買った駅弁は即食べ、食べ殻は座席下に押し込むのが一般的
だった。信じられないかもしれないが、当時の「力餅」掛け紙にも「食べ殻は座席下に
おいてください」(⇒投げ捨てるな??)と書いてあった。


 


  外部リンク ⇒⇒⇒ 全国の駅立ち売り情報、コラム




[4] ## 駅立ち売り(窓越し販売)余話
 この仕事の難しさは「販売可能時間約30秒」これに尽きる ##






↑※5代目が小学生だった旧型客車の時代の悲喜劇、令和時代にはあり得ない


こぼれ話ぽろり  ## 電車が来ない…編 ## 2020/11/18挿話

 日本の鉄道は、世界の中でも時間に正確に運行されるとはよく言われます。とはいえ、運行
ダイヤが乱れることもあります。原因としては、

 �@鉄道会社側に起因するもの(車両・踏切故障、システム不具合等)
 �A民間人側に起因するもの(人身事故、踏切進入、置き石!等)
 �B公共インフラ(大規模停電等)
 �C悪天候または地震等自然災害
 �Dその他

細分化すればもっとさまざまな原因があるかもしれません。
 さて、駅での立売り販売というのは電車が正常に運行していてこそ販売個数を伸ばせるとい
うもののですが、電車が遅延すると前提条件が崩れてきます。

まだまともなのは電車が始発駅を出る前に原因が分かる場合
 �@(乗り換えの都合上の)接続路線ダイヤの乱れ
 �A降雨・降雪が基準値以上に達した(達する予測)
�@の場合は大抵何分遅れかわかるため調整して立売りをおこなえます。
�Aの場合は運休が確定しますので、立売りも不可能。ただし製造調整できるため在庫ロスを
抑えることはできます。

もっとも困るのは始発駅を(峠駅の場合は米沢駅もしくは福島駅になります)出発したのに
電車が来ないパターン。
5分10分遅れで済めばよし。1時間来ないこともあります。そしてこのパターンでは乗客も疲労
するため、(立売りの)購買意欲に結びにくい

最後に、電車が来ない理由で珍しい(と思われそうな)3例

 �@鳥獣の衝突(カモシカ、イノシシ、クマ他)
  ⇒近年増加傾向で非常にやっかい

 �A落ち葉堆積による車輪空転
  ⇒11月に多い。車両重量が軽いと空転しやすいので、空転対策として車両増結で運行を 
    することもある。(2020/11/15,同月/22車輪空転が原因で運休!立売りの機会損失)

 �B猛暑下で線路が歪む
  ⇒2019/8/6発生。約半日運休。寒暖差での膨張収縮を考慮して線路に隙間を空けて敷設
    しているのはご存じのとおり。今回は想定以上に線路が膨張したようだ。

                    

こぼれ話ぽろり  ## おつり編 ##

30秒の停車時間。時間をロスする第一要因は代金の受け渡し。都会の大きな駅ならキオスク
を利用、もたもたして1本乗り遅れても10分も待てば次の電車が入ってくるだろう。田舎はそう
はいかない。次の電車は3時間後という目に合う。こちら側の対策としては

�@商品の1本化 お客様が複数の商品を前に選択するロスタイムをなくし、お買い上げ金額の
 暗算がすみやかに行える。
 (ちなみに30年前までは力餅以外にも、お茶・ジュース・アルコール・おつまみさきいか・冷凍みかんなど売って
  いたし、停車時間もあった。スイッチバックがあった分なんとなくのんびりした旅を味わえたのだが…)

�Aおつりの小分けストックと電車入線直前の動線シミュレーション・遅延時のシミュレーション

�B緊急手段 ***アクション(後で車掌さんににらまれます)

1万円渡されてもすぐにおつりを出せるので次のお客様を求めることができるのですが……」
お客様が、小銭入れから小銭をジャラジャラ「ひい、ふう、みい…」と始めたらこちらは動けな
い。

正直、時間が惜しい。車掌さんの懐中の時計が時を刻み、「ピィー」の笛音。冷や汗タラタラ、
ただただ恐縮するのみ。大きいお札をくずすのは早くできるのですが、小銭を減らしたいという
かたは、駅に着く前に準備していただけたらありがたいです(汗)。

     


こぼれ話ぽろり  ## 領収書編 ##

いつものように電車越しに餅を売っていたところ、電車から降りてきて餅をお買い求めになられ
たかたが一言。「領収書きってください!」

これにはビックリお目目パッチリ。

もう昭和ではないんだな

自分の脳内にある「古くからの駅立売り」に領収書というワードは想像もつかなかった。

昭和どころか平成も終わったよ

とりあえず、この購買者には「あと10秒ほどで発車しますよ」と言うと、あわてて乗車。
電車はトンネルに吸い込まれていった。

30秒の停車時間での乗客との真剣勝負。

現場で領収書きるにはちょと時間が足りません。

ゴメンナサイ。
(どうしてもという方は電話で予約!?を)

     


こぼれ話ぽろり  ## 駅立ち売りの天敵‐苦笑しかない編 ##

電車が停車。乗降口が開き、いろいろな人が顔を出す。

足元かためた登山客。大きなバッグの湯治客。鉄道写真家。駅看板の前で記念写真を撮って
再び乗り込む人。よく分かっていないが屋根に覆われた駅が珍しいと顔を出す人。

それらのなかからお餅を買っていただけるか否かを見極めるのが30秒間の密度の濃い楽
しい仕事。

1000円札を振りかざしてこちらに手を振るかたはものすごくありがたい。

車内をスタスタ「こちらに近づいてきたぞ」と思ったらお手洗いに入っていかれて「なんだ、違う
のか」というオチもたびたび。

2000年代となり天敵登場。”カメラつきケイタイそしてスマホ”。

手のひらに収まる電子機器は電車のガラス越し・遠目にみるとお財布をにぎりしめているよう
にも見えるのでお餅を売ろうと駆け寄るのですが…、

「パチリ」と撮られて、♪はいそれま〜で〜よ〜♪。

………

撮影はしたい

購入するつもりはない

………

カメラの起動が早いから直前までゲームしていた人までもが撮影している

(画期的な機器の普及によって、同じように苦笑するしかない業種の人が
 世界レベルでいるのでしょうねえ………)

まあ口コミの話題の材料にでもなれば、しめたものですが……

(イヤ トイウワケデハナイノデスガ、セメテ ヒトコト コトワッテ。マナーワルイバアイガタタアルモノデ……。ショウゾウケン ガアルノ
デハ?)

 


こぼれ話ぽろり  ## 車掌にも各々の間合いがある編 ##

駅で餅を売っていておもしろいなと思うことがいくつかある。車掌さんの個性というか、仕事の
パターンを毎日のように観察できるのもそのひとつだ。

自分は幼稚園のときから高校卒業まで13年間、汽車で通学していたから、当時からの車掌さ
んはおおかたわかる。若い車掌さんは只今じっくり観察中。

車掌さんを観察するのは実は大変重要。

お客さんの乗降がないと、「早いんじゃないの〜」と思うくらいの間合いでドアを閉じる車掌。
こちらは小走りに車内をのぞいて「お餅いかがですか〜」とやらないと隅々まで乗客の確認が
できない。

1拍おいてドアを閉じる車掌さんなら隅々まで売り声をかけた後グルッと見回して再確認でき
る。

1拍以上のんびりおく車掌さん。売り声出して行ったり来たり2往復・3往復してもまだドアが閉
まらないとけっこう居心地悪い。

こちらとしては車掌さんの間合いを知ったうえで電車の中をのぞかないと、売れるものも売りそ
びれたりしちゃうわけ。

最近は当たり前のように写真撮影をする人が多いためさらに難しい時代になった…


(福知山線の脱線事故は、駅で立ち売りを行っている店という視点からも改めて考えされられ
るものがあります。運転士も車掌も定時で安全に運行するのが第1義であることに同意しま
す。当店としても、駅でのやりとりがよりスムーズに行えるように努めたいと思います。)




こぼれ話ぽろり  ## 電車が雨を呼ぶ!?編 ##

それは梅雨の時期に一番多い事実である。

”泣き出しそうな空”という言い回しがあるが、降りそうで降らない天気というものがある。
いよいよ降ってきたぞ、と思わせておいて、数分もすれば太陽が顔を出す。

山では珍しくもない事象ではあるが、ここにひとつ、どうしても納得いかない・したくない現象が
…。

それは、知る人ぞ知る”電車が雨を連れて来る”現実。

これは、雷様がゴロゴロ言いつつも雨は降ってなく、お日様が顔を出している時に起きやす
い。雷様はターゲット(?)に動く電磁石、つまり電車にくっついて来る。

電車が近づくと雨が降り、遠ざかると雨もやむ。

これは峠の餅屋の視点で見ると、”峠駅に餅を売りに行く時だけ雨が降る”ということ。

今でこそスノーシェッド内のホームだから業務上たいした影響はないものの、スイッチバック
があった頃、ホームが屋根で覆われていなかった頃は、その一瞬の降雨に濡れながら餅を売
った。

しかも電車が遠ざかると雨もやむ。

「なんでやねん」とぼやいてみたくもなった、うれしくない現象である。


滑川鉱山から採掘した鉄鉱石を索道で下して、貨車積みしているイラスト。この時代は国鉄職
員、鉱山関係者で60〜70世帯が峠駅前に住んでいたという。


スイッチバック時代の風景から  ## 旧型客車、手動ドアならではの〜編 ##

これは、まだ「旧客」と呼ばれた客車を使用していた頃の話。

窓は手動開閉、乗降口のドアも手動開閉なものだから、駅に停車しようと減速している汽車か
ら飛び降りたり、発車して、加速している汽車に飛び乗ったりする若い連中も少なくなかった。

餅を売っていて困るのが、汽車が動き出してから窓から顔を出して「餅をくれ」という客。

汽車は徐々にスピードを増し、それに追いすがって餅を差し出す。ひどいときは、餅を窓に投
げ込んで、代金を投げ落としてもらったり、と粗っぽい取引。いや、もはや取引ともいえない。

代金をちょうどいただけたらまだよいが、おつりが生じるときが大変。おつりを渡しそびれたり、
逆に餅を持ち逃げ(餅逃げx)されたり。

停車時間がタップリあるにもかかわらず、そうやってスリルを楽しむ輩もいた。

現在の電車は、ドアはしっかりと閉じられアッという間に速度が上がるから、餅を差し出すこと
もできない。

そのかわりに、代金未収でげんこつをくらうようなことにはならないのだが…

スイッチバック時代の風景から  ## 紙幣は風に舞い、硬貨は雪に沈む ##

現在のホームはスノーシェッド内だが、旧ホームは外。この豪雪地帯には「ブリザード」という
表現があてはまる強風のなか立売りをおこなう。

手袋をしたままだとおつりを扱いづらいから販売のその瞬間に手袋をとるが、それでもやはり
手はかじかんでしまって、受け取りそこなった硬貨は雪に沈み、数か月後、雪解け後のホーム
には硬貨がちらほら。

紙幣は紙幣で、突然の地吹雪にもっていかれ、

♪飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで〜回って回って回って回〜る〜♪

スイッチバック時代の風景から  ## トンネル、ボヤ火災編 ##

まだ、スイッチバックが廃止される前。福島側からの列車は、板谷駅を出た後、トンネルをくぐ
って、本線から峠駅への引き込み線に入る。

乗客の乗り降りを終え、後退してトンネル内のもう一つの引き込み線に入る。そして再び前進・
本線に戻って次の大沢駅へ向かう。

前述した旧型客車が現役の時代の話。峠駅の引き込み線は、地形上の理由でトンネル仕様と
なった。

旧型客車のドアは手動開閉。トンネル引き込み線にて列車は10数秒停車。そして、洞窟内部
にでも入ったような闇と冷気。

おもわず、ドアを開け放し闇に包まれた空間を楽しんだ人は多い。(今で言えば、津軽海峡線
で思わず海底下車してしまった感覚。ちなみに5代目は洞窟や鉱山跡好きときたもんだ)

身を乗り出して、トンネルの壁に手をペタペタなどは誰もがやった。

しばしば、タバコのポイ捨てが思わぬ事故となった。

線路の枕木は腐敗防止のため油を塗っている。バラスト(砂利)敷きなので、トンネル内はジメ
ジメせずに、枕木は乾いている。ポイ捨てタバコが枕木に引火。次の列車が到着するまで誰も
トンネル内の失火に気づかない。

であるからして、トンネル内部からの煙に気づいた段階ではかなりの勢い…。現在、スイッチバ
ック廃止の時点で引き込み線の線路も取り払われた。なんにしろ、タバコのポイ捨ては危険で
あるのです。
 
・峠駅停車後、トンネル引き込み線へバックで進入する列車、その後本線へ入る。
(右トンネル が上り本線、さらに右に下り本線)引き込み線は、現在線路はない。
(ワインや野菜の貯蔵庫にはうってつけ 使えるならば)


大正時代・明治時代まで遡って  ## 夜の立売りにおける照明の恩恵 ##

 3代目の著した資料によると「大正14年9月1日より峠駅停車場に電燈が初めて設置され
る」とあります。

 以下「…それまでは(駅職員によって)列車進入直前に、角型の硝子張りの石油ランプに
明かりが入れられたものです。ホーム全体に4,5か所ほのかにうすぐらいランプの光が
足元を照らす程度で、とてもとても手元の金銭の確認などできるものではありませんでした。

鉄道局だからこそ硝子張りのランプを所有していましたが、民間の我々は紙製の弓張り提灯
にロウソクを灯して、その明かりでもって金銭を確認していました。

雨の日ともなると、片手に提灯片手にカラ傘を持っての商売ですから想像しても大変なことが
わかります。

冬の猛吹雪の夜などは提灯の火が消えないようにすることに労力をさかれました…」

 自分の祖父の記録に、提灯片手に夜の立売りを行っていたとあると、現在当たり前のように
使っている照明、電力その他がいかにすばらしいものかと顧みるものです

                     


[5] ## 資料 峠駅立売 開業当時の許可書 ## 
以下掲載の許可書は残念ながら現存しておりません。
故・3代目が著した自伝から取り込みましたが、達筆すぎて解読しきれません。







                              

                                               2026.10.1改訂