峠の力餅‐峠駅立売り(窓越し販売) 当年5月 峠駅立売り123周年 [ it's a traditional rural railway landscape ] 奥羽本線開通直後、明治34(1901)年5月から”峠の力餅”を峠駅にて販売を 始めて123年。汽車から、電車に代わり、旅の情緒をあまり感じなくはなりまし たが、”峠の力餅”はますます健在。スイッチバックが廃止され、トンネル内(正しく 言えばスノーシェッド内)にプラットホームがあるという、ちょっと異世界へ飛び込ん だような峠駅で、今日も変わらず力餅を売る声が響き渡ります。 ↓↓↓取材記事↓↓↓ ◆【ひとりでもお客さんが来てくれる限り JR東日本唯一の立ち売り駅に響く、1回30秒の餅売りの声】 2024.3.31公開 ## ―目次― ## [臨]業務連絡 【2022年度の当路線客数を踏まえての対応】 [1]峠駅にて123年、駅立売り(窓越し販売)と峠駅時刻表 [2]峠駅と駅立売り(窓越し販売)の変遷 [3]高速化・効率化・時間短縮時代における絶滅危惧職種の矜持 [4]駅立売り(窓越し販売)余話 この難しさは「販売可能時間約30秒」これに尽きる [5]資料 峠駅立売り 開業当時の許可書 [6]駅立売り(窓越し販売)文化を残したい‐5代目語る →GO (自己紹介のページへ) [1] ## 峠駅にて123年、駅立売り(窓越し販売)と峠駅時刻表 ## 旧峠駅にて先代(4代目)の立売り−平成前後の頃の写真 現在の駅弁売りの主流は「出店型‐駅構内販売」及び「車内積み込み販売」であろう。 当店が継続している「振り売り型‐窓越し販売」はこの国では絶滅危惧業種であるのが 実情。 (2019/2/20 鉄道文化のなかで「ポスト立売り」であり、一時期はカリスマ販売員も注目を 集めた「車内販売」も終了、縮小へとのアナウンスがありました。旅情を感じる風景もまたひと つ消えてゆく潮流なのでしょうか) 現在、山形新幹線のタイトスケジュールの合間に運行の在来線での立売りは極めてシビア。 時間の制約とのたたかい。
[2] ## 峠駅と駅立売り(窓越し販売)の変遷 ## 5代目のコメントをつけて… 2007年 スノーシェッド内の新峠駅にて4代目・5代目の立売り風景 ご存じですか?4人対面シートでは窓が開閉可能なんで本当の!?窓越し販売 1977年 上の写真の30年前。3代目・4代目の立売り風景 写真右上が、本線からのスノーシェッド(2019年現存してます) 4代目の奥に駅員が!さらに奥に貨物係まで!車両も手動ドア。懐かしい。 余談ですが、この時代の車両シートに「瓶の栓抜き」あるんです。飲料は瓶詰の時 代、王冠集めが子供の遊びだった。ああっ、車内に扇風機もあったこと思い出した! 1990年代??の4代目 前出2枚の写真のちょうど中間の時代か。車両のドアが自 動になっている。窓は全席開閉可ではあったかな。客車はもはや2・3両だけの編成に なっている。そのくせ機関車は重連。せっかくの重連なんだからたくさん牽いてくれた らカッコイイのだが。 2004年 5代目の本音としては、近代的電車よりレトロな木造旅客列車で売ってみ たい 1990年 スイッチバック廃止イベント時の4代目 力餅が山積み!! EF71とED78の重連ももはや20年近く前の記憶 1990年は全国の鉄ちゃんがスイッチバック4駅に集結(赤岩駅はお隣福島市なも ので「米沢市広報」では3駅しか列挙していない)峠駅下りホームの写真。 1990年 峠駅前には娯楽施設はない。登山や湯治客がわずかにいるだけのはずの峠 駅だが…、そうこの方がたはスイッチバックを味わう目的でこの駅に降り立った。 1971年 中央の老爺が当店3代目。背後に押しつけた雪の壁。現在と違い客車の編 成が長い。7・8両以上か。立売りも一人ではまかなえず。3代目(祖父)の右に3代 目の娘。(自分からみて伯母)総動員でこなしていた。 参考までに、写真奥はスイッチバック支線の行き止まり。でも行き止まりなのにスノ ーシェッド(雪よけ)があります。なぜか?ここ峠駅は文字通りどちらも坂を下ること になる。そのため、蒸気機関車の時代は機関車を前後入れ換えをおこなっていた。その ために線路最奥に退避線進入のためのポイントがあり、ポイントのためのスノーシェ ッドを設置したわけである。(このスノーシェッドも現存している) 1965年峠駅 自分の父である4代目が学生だった頃 スノーシェッドが現在とおん なじだ。ちょうど汽車が進入してるあたりが、スイッチバック廃止による駅の移動後 「当店築山庭園」として生まれ変わった。 明治時代の峠駅?? 絵葉書らしい 「奥羽線峠停車場……是より姥湯温泉迄二里(桝形屋旅館)」と書いてある 架線がないから蒸気の時代、左奥のスノーシェッド内に転車台があり仕事をしていた 昭和40年代?? 冬の3代目立売りスタイル 力餅以外につまみやサイダー、カップ酒が販箱に入っている。 駅立売りは当然、国鉄より許可を得てやらないといけない。3代目著『峠の力餅八十年 の歩み』にある販売許可書の写しから書き出してみると… @大正三年の許可書−売品種類 茶、酒、鶏卵、菓子、餅、果物、サイダー、煙草 A昭和拾年の許可書−販売品目録 力餅、パン(おそらく乾パン)、羊羹、キャラメ ル、時雨の松、ゆべし、のし梅、ビール、金深サイダー、沖政宗、御茶、果実類(蜜 柑、梨、桃、林子、季節より)、煙草、郵便切手類、官製葉書 デジタル媒体や読み物の普及していない時代、車中で家族に手紙を書いたり、乗 り合わせた人たちと食べて飲んで喫煙して…車中の活気を想像できます 昭和50年代?? 夏の4代目立売りスタイル 上の写真と同じ場所なんですが…駅看板が塗り替えられていますよね 2004年 スノーシェッド内の新駅での5代目立売りスタイル
[4] ## 駅立売り(窓越し販売)余話 この仕事の難しさは「販売可能時間約30秒」これに尽きる ## ## 売り子の動きがわかれば、買える確率もあがる ## 常に人の往来がある駅での「立売り」と違い、当店の「立売り」は電車が停車してから発車する までの「販売可能時間約30秒」という時間的制約がついている。 「販売時間」ではなく「販売可能時間」という表現が真実を語っている。 「単純計算で1人のお客に6秒で対応したとしても販売できるのは5人、1秒ずつ削り取って5 秒ならば6人目にも売れる」という業務が、冗談みたいな本当の実態である。 そんなわけで、我々にとって電車停車中の1秒1秒がとても貴重であり、無駄の少ない販売動 線を作るために、1つのルールをつくっている。 それは「売り子の立つ位置は電車最後尾の乗降口前」だということ。これを知っていると買 える確率があがるはず。その理由は @電車の先頭部停車位置に立つと、後ろの乗客に「売り声」が届かず、売っていることすら 気づいてもらえない A電車の中央部停車位置に立つと、一見前にも後ろにも近いが、両端に購入希望者が いた場合、動線が長くなり、時間をロスしてしまう。 B電車の最後尾停車位置に立つと、電車進入時から「売り声」を出すから、 先頭部の乗客にも売り子の存在を認知され、売り子の動線は最後尾から先頭部まで一直線 もちろん、電車の乗降客が多い日などはこの動線が確保できなくなるのだが、「30秒の制限 時間のなかで結果の出る動き」をしなければならない(13:19の電車遅延すると困るんだなあ 1 3:26の電車と同時着になった時は…) こぼれ話ぽろり ## 電車が来ない…編 ## 2020/11/18挿話 日本の鉄道は、世界の中でも時間に正確に運行されるとはよく言われます。とはいえ、運行 ダイヤが乱れることもあります。原因としては、 @鉄道会社側に起因するもの(車両・踏切故障、システム不具合等) A民間人側に起因するもの(人身事故、踏切進入、置き石!等) B公共インフラ(大規模停電等) C悪天候または地震等自然災害 Dその他 細分化すればもっとさまざまな原因があるかもしれません。 さて、駅での立売り販売というのは電車が正常に運行していてこそ販売個数を伸ばせるとい うもののですが、電車が遅延すると前提条件が崩れてきます。 まだまともなのは電車が始発駅を出る前に原因が分かる場合 @(乗り換えの都合上の)接続路線ダイヤの乱れ A降雨・降雪が基準値以上に達した(達する予測) @の場合は大抵何分遅れかわかるため調整して立売りをおこなえます。 Aの場合は運休が確定しますので、立売りも不可能。ただし製造調整できるため在庫ロスを 抑えることはできます。 もっとも困るのは始発駅を(峠駅の場合は米沢駅もしくは福島駅になります)出発したのに 電車が来ないパターン。 5分10分遅れで済めばよし。1時間来ないこともあります。そしてこのパターンでは乗客も疲労 するため、(立売りの)購買意欲に結びにくい 最後に、電車が来ない理由で珍しい(と思われそうな)3例 @鳥獣の衝突(カモシカ、イノシシ、クマ他) ⇒近年増加傾向で非常にやっかい A落ち葉堆積による車輪空転 ⇒11月に多い。車両重量が軽いと空転しやすいので、空転対策として車両増結で運行を することもある。(2020/11/15,同月/22車輪空転が原因で運休!立売りの機会損失) B猛暑下で線路が歪む ⇒2019/8/6発生。約半日運休。寒暖差での膨張収縮を考慮して線路に隙間を空けて敷設 しているのはご存じのとおり。今回は想定以上に線路が膨張したようだ。 >>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>> [臨] 「車輪空転を理由に2020/11/23〜12/13まで下り線の運行計画変更」 を受けての駅立売りの対応 電車の大幅遅延が峠駅での立売りにおよぼす影響を分析した結果、在来線の乗車率もさらに 下がり、また、庭坂駅での停車時間が長いほど反比例して(力餅の)購買意欲の低下も見込ま れ立売りの準備が難しくなりそうです。 つきましては、運行計画変更期間中の立売りは完全予約制でお願いしたいと思います。も ちろん、件の事情で電車が峠駅に到達しなかったとしてもキャンセル料は発生しません。準備 個数に腐心する状況の為ご理解とご協力お願い致します。 <<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<<< こぼれ話ぽろり ## おつり編 ## 30秒の停車時間。時間をロスする第一要因は代金の受け渡し。都会の大きな駅ならキオスク を利用、もたもたして1本乗り遅れても10分も待てば次の電車が入ってくるだろう。田舎はそう はいかない。次の電車は3時間後という目に合う。こちら側の対策としては @商品の1本化 お客様が複数の商品を前に選択するロスタイムをなくし、お買い上げ金額の 暗算がすみやかに行える。 (ちなみに30年前までは力餅以外にも、お茶・ジュース・アルコール・おつまみさきいか・冷凍みかんなど売って いたし、停車時間もあった。スイッチバックがあった分なんとなくのんびりした旅を味わえたのだが…) Aおつりの小分けストックと電車入線直前の動線シミュレーション・遅延時のシミュレーション B緊急手段 ***アクション(後で車掌さんににらまれます) 1万円渡されてもすぐにおつりを出せるので次のお客様を求めることができるのですが……」 お客様が、小銭入れから小銭をジャラジャラ「ひい、ふう、みい…」と始めたらこちらは動けな い。 正直、時間が惜しい。車掌さんの懐中の時計が時を刻み、「ピィー」の笛音。冷や汗タラタラ、 ただただ恐縮するのみ。大きいお札をくずすのは早くできるのですが、小銭を減らしたいという かたは、駅に着く前に準備していただけたらありがたいです(汗)。 こぼれ話ぽろり ## 領収書編 ## いつものように電車越しに餅を売っていたところ、電車から降りてきて餅をお買い求めになられ たかたが一言。「領収書きってください!」 これにはビックリお目目パッチリ。 もう昭和ではないんだな 自分の脳内にある「古くからの駅立売り」に領収書というワードは想像もつかなかった。 昭和どころか平成も終わったよ とりあえず、この購買者には「あと10秒ほどで発車しますよ」と言うと、あわてて乗車。 電車はトンネルに吸い込まれていった。 30秒の停車時間での乗客との真剣勝負。 現場で領収書きるにはちょと時間が足りません。 ゴメンナサイ。 (どうしてもという方は電話で予約!?を) こぼれ話ぽろり ## 駅立売りの天敵‐苦笑しかない編 ## 電車が停車。乗降口が開き、いろいろな人が顔を出す。 足元かためた登山客。大きなバッグの湯治客。鉄道写真家。駅看板の前で記念写真を撮って 再び乗り込む人。よく分かっていないが屋根に覆われた駅が珍しいと顔を出す人。 それらのなかからお餅を買っていただけるか否かを見極めるのが30秒間の密度の濃い楽 しい仕事。 1000円札を振りかざしてこちらに手を振るかたはものすごくありがたい。 車内をスタスタ「こちらに近づいてきたぞ」と思ったらお手洗いに入っていかれて「なんだ、違う のか」というオチもたびたび。 2000年代となり天敵登場。”カメラつきケイタイそしてスマホ”。 手のひらに収まる電子機器は電車のガラス越し・遠目にみるとお財布をにぎりしめているよう にも見えるのでお餅を売ろうと駆け寄るのですが…、 「パチリ」と撮られて、♪はいそれま〜で〜よ〜♪。 ……… 撮影はしたい 購入するつもりはない ……… カメラの起動が早いから直前までゲームしていた人までもが撮影している (画期的な機器の普及によって、同じように苦笑するしかない業種の人が 世界レベルでいるのでしょうねえ………) まあ口コミの話題の材料にでもなれば、しめたものですが…… (イヤ トイウワケデハナイノデスガ、セメテ ヒトコト コトワッテ。マナーワルイバアイガタタアルモノデ……。ショウゾウケン ガアルノ デハ?) こぼれ話ぽろり ## 車掌にも各々の間合いがある編 ## 駅で餅を売っていておもしろいなと思うことがいくつかある。車掌さんの個性というか、仕事の パターンを毎日のように観察できるのもそのひとつだ。 自分は幼稚園のときから高校卒業まで13年間、汽車で通学していたから、当時からの車掌さ んはおおかたわかる。若い車掌さんは只今じっくり観察中。 車掌さんを観察するのは実は大変重要。 お客さんの乗降がないと、「早いんじゃないの〜」と思うくらいの間合いでドアを閉じる車掌。 こちらは小走りに車内をのぞいて「お餅いかがですか〜」とやらないと隅々まで乗客の確認が できない。 1拍おいてドアを閉じる車掌さんなら隅々まで売り声をかけた後グルッと見回して再確認でき る。 1拍以上のんびりおく車掌さん。売り声出して行ったり来たり2往復・3往復してもまだドアが閉 まらないとけっこう居心地悪い。 こちらとしては車掌さんの間合いを知ったうえで電車の中をのぞかないと、売れるものも売りそ びれたりしちゃうわけ。 最近は当たり前のように写真撮影をする人が多いためさらに難しい時代になった… (福知山線の脱線事故は、駅で立ち売りを行っている店という視点からも改めて考えされられ るものがあります。運転士も車掌も定時で安全に運行するのが第1義であることに同意しま す。当店としても、駅でのやりとりがよりスムーズに行えるように努めたいと思います。) こぼれ話ぽろり ## 電車が雨を呼ぶ!?編 ## それは梅雨の時期に一番多い事実である。 ”泣き出しそうな空”という言い回しがあるが、降りそうで降らない天気というものがある。 いよいよ降ってきたぞ、と思わせておいて、数分もすれば太陽が顔を出す。 山では珍しくもない事象ではあるが、ここにひとつ、どうしても納得いかない・したくない現象が …。 それは、知る人ぞ知る”電車が雨を連れて来る”現実。 これは、雷様がゴロゴロ言いつつも雨は降ってなく、お日様が顔を出している時に起きやす い。雷様はターゲット(?)に動く電磁石、つまり電車にくっついて来る。 電車が近づくと雨が降り、遠ざかると雨もやむ。 これは峠の餅屋の視点で見ると、”峠駅に餅を売りに行く時だけ雨が降る”ということ。 今でこそスノーシェッド内のホームだから業務上たいした影響はないものの、スイッチバック があった頃、ホームが屋根で覆われていなかった頃は、その一瞬の降雨に濡れながら餅を売 った。 しかも電車が遠ざかると雨もやむ。 「なんでやねん」とぼやいてみたくもなった、うれしくない現象である。 スイッチバック時代の風景から ## 旧型客車、手動ドアならではの〜編 ## これは、まだ「マッチ箱」と呼ばれた客車を使用していた頃の話。 窓は手動開閉、乗降口のドアも手動開閉なものだから、駅に停車しようと減速している汽車か ら飛び降りたり、発車して、加速している汽車に飛び乗ったりする若い連中も少なくなかった。 餅を売っていて困るのが、汽車が動き出してから窓から顔を出して「餅をくれ」という客。 汽車は徐々にスピードを増し、それに追いすがって餅を差し出す。ひどいときは、餅を窓に投 げ込んで、代金を投げ落としてもらったり、と粗っぽい取引。いや、もはや取引ともいえない。 代金をちょうどいただけたらまだよいが、おつりが生じるときが大変。おつりを渡しそびれたり、 逆に餅を持ち逃げ(餅逃げx)されたり。 停車時間がタップリあるにもかかわらず、そうやってスリルを楽しむ輩もいた。 現在の電車は、ドアはしっかりと閉じられアッという間に速度が上がるから、餅を差し出すこと もできない。 そのかわりに、代金未収でげんこつをくらうようなことにはならないのだが… スイッチバック時代の風景から ## 紙幣は風に舞い、硬貨は雪に沈む ## 現在のホームはスノーシェッド内だが、旧ホームは外。この豪雪地帯には「ブリザード」という 表現があてはまる強風のなか立売りをおこなう。 手袋をしたままだとおつりを扱いづらいから販売のその瞬間に手袋をとるが、それでもやはり 手はかじかんでしまって、受け取りそこなった硬貨は雪に沈み、数か月後、雪解け後のホーム には硬貨がちらほら。 紙幣は紙幣で、突然の地吹雪にもっていかれ、 ♪飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで〜回って回って回って回〜る〜♪ スイッチバック時代の風景から ## トンネル、ボヤ火災編 ## まだ、スイッチバックが廃止される前。福島側からの列車は、板谷駅を出た後、トンネルをくぐ って、本線から峠駅への引き込み線に入る。 乗客の乗り降りを終え、後退してトンネル内のもう一つの引き込み線に入る。そして再び前進・ 本線に戻って次の大沢駅へ向かう。 前述した旧型客車が現役の時代の話。峠駅の引き込み線は、地形上の理由でトンネル仕様と なった。 旧型客車のドアは手動開閉。トンネル引き込み線にて列車は10数秒停車。そして、洞窟内部 にでも入ったような闇と冷気。 おもわず、ドアを開け放し闇に包まれた空間を楽しんだ人は多い。(今で言えば、津軽海峡線 で思わず海底下車してしまった感覚。ちなみに5代目は洞窟や鉱山跡好きときたもんだ) 身を乗り出して、トンネルの壁に手をペタペタなどは誰もがやった。 しばしば、タバコのポイ捨てが思わぬ事故となった。 線路の枕木は腐敗防止のため油を塗っている。バラスト(砂利)敷きなので、トンネル内はジメ ジメせずに、枕木は乾いている。ポイ捨てタバコが枕木に引火。次の列車が到着するまで誰も トンネル内の失火に気づかない。 であるからして、トンネル内部からの煙に気づいた段階ではかなりの勢い…。現在、スイッチバ ック廃止の時点で引き込み線の線路も取り払われた。なんにしろ、タバコのポイ捨ては危険で あるのです。 ・峠駅停車後、トンネル引き込み線へバックで進入する列車、その後本線へ入る。 (右トンネル が上り本線、さらに右に下り本線)引き込み線は、現在線路はない。 (ワインや野菜の貯蔵庫にはうってつけ 使えるならば) 大正時代・明治時代まで遡って ## 夜の立売りにおける照明の恩恵 ## 3代目の著した資料によると「大正14年9月1日より峠駅停車場に電燈が初めて設置され る」とあります。 以下「…それまでは(駅職員によって)列車進入直前に、角型の硝子張りの石油ランプに 明かりが入れられたものです。ホーム全体に4,5か所ほのかにうすぐらいランプの光が 足元を照らす程度で、とてもとても手元の金銭の確認などできるものではありませんでした。 鉄道局だからこそ硝子張りのランプを所有していましたが、民間の我々は紙製の弓張り提灯 にロウソクを灯して、その明かりでもって金銭を確認していました。 雨の日ともなると、片手に提灯片手にカラ傘を持っての商売ですから想像しても大変なことが わかります。 冬の猛吹雪の夜などは提灯の火が消えないようにすることに労力をさかれました…」 自分の祖父の記録に、提灯片手に夜の立売りを行っていたとあると、現在当たり前のように 使っている照明、電力その他がいかにすばらしいものかと顧みるものです [5] ## 資料 峠駅立売 開業当時の許可書 ## 以下掲載の許可書は残念ながら現存しておりません。 故・3代目が著した自伝から取り込みましたが、達筆すぎて解読しきれません。 2016.11.17改訂 |