登場人物―峠の茶屋 自己紹介 ![]() 5代目の少年期の原体験「笑顔があふれていた列車内」を旅情イラストとして複数挿入 2026.10 ## ―目次― ## ・こんな場所のこんな店です →GO ・よくある質問 →GO ・駅立ち売り(窓越し販売)文化を残したい‐5代目熱く語る →GO ・重箱の隅 (どうでもいいような、よくないような) →GO ## 5代目の回想�@ ## ![]() ※幼稚園通園から高校卒業まで、実に13年間汽車通を行っていた。汽車内では、「餅 を購入するためにわざわざ汽車に乗る人がいる」のをその目で見てきた。自分にはその 原体験があるから、1年365日駅立ち売りを続ける理由がある。 2026年現在は少子化・学校の統廃合で、遠距離に住まう児童生徒は、電車通学では なく、スクールバスやタクシー通学なんだそうだ。わが子らは残念ながら、自分と同じ原 体験を醸成させる機会がない。 ## こんな場所のこんな店です ## 本日は山ん中のちっぽけなお店に興味を持っていただき、まことに有難うございます。 このサイトの製作・脚本・出演者である私、[絶滅寸前の「駅ホーム立ち売り」の最後の砦 たらん と嘯くそんぴん5代目]であります。ちっぽけな店なもので、せめて肩書きだけでも 大風呂敷を広げることご了承願います。 ![]() 駅の名前が「峠」というところに住んでいます。「峠」の前に「碓井〜」や「三国〜」といっ た冠がつきません。場所は東北地方福島県福島市と山形県米沢市の接する「板谷峠」と いう県境の峠近辺で「板谷」駅以外に「峠」駅があるんです。ちとややこしいかもしれませ ん。明治のころの話です。鉄道を敷くことになり、板谷という集落内に駅ができ、駅名が 「板谷」になったのは理解しやすいですね。ところが、もうひとつ駅を造る必要があったん です。端折って言えば、当時の蒸気機関車の馬力が小さく、また今で言うところの燃費 が悪かったため、石炭・水の補給基地が必要だったのです。その場所はこの路線最高 地点からわずかのポイントで、水の確保ができる谷筋。急峻な傾斜地であり、集落など ありませんでした。その谷川の一部にヒューム管を並べ、そのうえに鉄道トンネル掘削 工事の残土を積み上げ平地として養生させ、スイッチバック構造の駅を造ったのです。 そんなわけで旧峠駅前の地下には暗渠川が横断しています。で、当時の人たちがどれ ほど真面目に検討し、駅名候補がいくつあがったかわかりませんが、結果「峠」という可 もなく不可もなしの駅名になっちゃったんですねえ。
しらできてきます。さらに山奥の温泉までの道路も整備されましたし、スキーブームの時 代は駅前がゲレンデとして利用され電車でスキー客が訪れていました。ご来店された方 から「運転がたいへんだった」とのお声をいただきますが、なにぶんまず鉄道ができたあ とに自動車道が整備されたもので…このようなすばらしい九十九折り車道となりました。 みなさん、その足元・土の中を電車が通ってますよ! ![]() そんな環境で生まれ育った自分は、この先の展望いかにして峠駅前を盛り上げるか 日々思考錯誤。「湯治(温泉)・登山(吾妻連峰東エリア)・トレイン(かつての4駅連続ス イッチバックの遺構)」の峠の3本柱に続けと、「峠の土を焼いてみよう」と模索をはじめ た「生まれも育ちも峠駅前の峠居人」であります。 峠の3本柱などと勝手に位置づけていますが、自分は温泉経営者ではなく、登山家で もなく、鉄道写真家でもありません。陶芸家でもありません。山の中の餅屋にして肩書き は[絶滅寸前の「駅ホーム立売り販売」の最後の砦たらん と嘯くそんぴん5代目]なんで す。 ![]() 前置きが長くなってしまいました。ここからがお店の自己紹介です。江戸時代、当地米沢 の藩主は上杉氏でしたが、ライバル伊達氏との国境 旧米澤街道石畳の板谷峠に茶屋 がありました。茶屋ではありましたが、国境ということもあり、関所的なお勤めもあったの かもしれません。米沢藩から「藩扶持米」をいただき、餅を作って道中往来の旅人に提 供していたとききます。 ![]() 武士の時代が終わり明治も20数年たった頃、当店初代にあたる者が縁あってこの茶屋 を取り仕切るようになりました。茶屋自体は江戸時代に複数軒構えてあったようですが、 区切りとして、自分の血をさかのぼったこの初代が茶屋を継承した明治27年が創業年 としています。その後、初代は奥羽本線敷設工事の難所福島〜米沢間工事に従事。 ![]() 工事の合間に茶屋自慢の大福餅を人足うちでふるまっていたと聞きます。 ![]() 鉄道開通後、居を街道筋から鉄道筋(峠駅前)に移し、「大福餅ぶるまい」の話を聞いた 初代峠駅長の助言をいただき峠駅にて”峠の力餅”を販売するようになりました。営業開 始にあたって屋号を「最上屋」としたのも当地が奥羽本線最高地点であり、山形の母な る川最上川の一源流だったからです。当時は今みたいな車道も拓かれてなく、鉄路と 「そま道」のみのまさに”陸の孤島”。自分の足以外では鉄道が唯一の交通手段でした。 時は移り100余年。峠駅のさらに奥の秘湯まで車道も拓かれ、車にて訪れる方が多くな りました。汽車の窓越しの販売が主であった時代から、車などで直接来店される時代に 変わり、また来店されるかたも近在の県から関東・関西まで広がっていることなどから 「最上屋」から「峠の茶屋」に戻しました。お客様が交流される店でもありますから「峠の 茶屋」のほうがフレンドリーな感じを受けられるのではないでしょうか。 ![]() 只今、峠部落は2世帯全人口9人+秘湯「滑川」の専従者寮、「姥湯」の集荷所、イヌも 同じくらいいるかな。サルやカモシカは、その何倍か。あまり会いたくありませんがクマさ んも住民(?)なのかなあ。もっとも、私が生まれたときすでに3世帯。でも、過疎の集落 という表現もピンときません。なぜなら、この環境が当たり前として育ちましたから。上述 したとおり、もともとこの峠駅というのは、集落があってできた駅ではないのです。明治3 2年奥羽本線開業。当然動力は蒸気機関でしたが、この辺りは蒸気機関車が重連して 臨むほどの急勾配路線。「板谷駅」から次の集落のある「大沢駅」までパワーと燃料が 足りない。石炭や水を補給して一息入れるために山の中に造ったのがこの駅なのです。 もちろん人っ子ひとりおりませんでした。駅ができてからこの地に住む家ができたわけで す。ちょっと不便ですが、100年たった今は当時に比べるとはるかに生活しやすい。当 時は道路が拓かれてなかったから、汽車が止まると文字どうり”陸の孤島”。冬になると 10日やそこらの運休もあったとか。それでもこの地で商売を続けたご先祖にはただただ 頭がさがるのみ。 ![]() 山形新幹線で”峠の力餅”を販売しているのをご存知の方もいらっしゃるとは思いますが、その製品は、当 店で卸しているものでなく、米沢の別の店で製造販売しているものです。あちらはあちら、こちらはこちらで 製造販売しておりますので、餅米・小豆から違います。また、餅は、餅米と水のみでできるものですから、水 の質の違いが即、味の違いになるのはおわかりいただけるかと思います。 たびたび、山形新幹線内の力餅について問い合わせがございますが、別の店の製品について当店でお 答えできないことをお伝えしておきます。そちらのお店にお問い合わせください。 わたくし5代目が生まれる前に、故・3代目がのれんを分けた独立店舗であり、それぞれ一本立ちした店 として現在に至っております。「支店」の肩書がありますが、商品名のみを共有している間柄で「分店」とい ったほうがおわかりいただけ易いと思います。 ![]() さて当店は、みちのくの秘湯、滑川・姥湯温泉の手前にあります。5代目としては「峠の 3本柱」それぞれに興味を持たれる方に同じような比率で当店を訪れていただきたいな とは思っていますが、秘湯ブームということもあり、圧倒的に「湯治の峠駅」の独り勝ち。 温泉客の集いの場、健全な出会い茶屋であります。隣で餅を食べてる方も、そのまた隣 で岩魚を突付いてる方も、目的地は同じはず。袖触れ合った多少の縁で話がはずむは ず。私や4代目も、結構あちこちの温泉をまわっています。お客様と一緒に各地の温泉 談義に盛り上がりそのまま「つれ湯」となったりも。
4代目すなわち父ですが、自分が峠を盛り上げるために試行錯誤しているのに口をは さんだりするのですが、そういう4代目自身も若い頃から「この路線で盛り上げよう」とい うようなことをやっているんですね。4代目が描いた素朴な油絵がそのひとつです。現在 5代目が峠の土を採取しているようにかつての4代目は空いた時間に峠の木石を採取し ていた。それから30年以上たって木石がどうなったかは、ご来店後のお楽しみ。お客さ んは、必ず聞かれます。「どうやって持ってきたの?」と。もちろん、たったひとつのあの 道を運んできたものです。石庭の石とは、どんな石なのか。あの道とは、どんな道なの か。ここに来られないと分かりません。是非、来て、見て、触ってみてください。 ![]()
## 5代目の回想�A ## ![]() 売りに向かう「魚商のおばあさん」。木箱・藤籠が懐かしいなあ。。「富山の薬売り」もまた 汽車で動いていた。おじさんに風船をもらって喜んでいたんだよ。 ## よくある質問 ## Q なぜ、こんな山奥にお店があるんですか? A そもそも、当店の初代に当たる人は旧米澤街道石畳沿いで峠の茶屋を切り盛りして いました。が、一念発起奥羽本線鉄道工事に従事、つるはしを手に作業の傍ら折りを見 ては茶屋自慢の餅を振舞いました。鉄道開通後、その話を伝え聞いた初代峠駅長のご 助言をいただき、それならばということで汽車の乗客に窓越しに餅を売り始めたのが今 のスタイルのはじまり。皆さんが車で来られた道路はそれからずうっと後にできました。 まず鉄道ありきなのです。確かに車だと山奥のどん詰まりですから、峠駅地方線の終着 駅だと思われる方も多いのですが、なかなかどうして目の前は山形新幹線が走るような 駅前一等地なのですぞ!なぜ、山奥に店があるのか、それは駅があるからなので す。
A 当店は、期間・数量限定のイベントに出品する可能性を残しつつも、道の駅や観光 施設に卸してはおりません。人里離れた山中で製造し、その場(店舗・電車到着時のみ 峠駅)でのみ販売しております。鉄道開通以前の、旧米沢街道石畳沿いの峠の茶屋だっ た頃と何ら変わっておりません。宅急便でお送りもできますが、ネット通販に力を入れて はおりません。「駅立ち売りのアイデンティティ」を大切に考えております。ご理解いただ けたら幸いです。 「峠越えマラソン参加者への エイドステーションの立ち位置であり続けたい」 A もちろん止まりません。なにしろ2世帯全人口9人の駅集落です。もしそんなことにな ったら沿線のすべての駅が、うちにも止めろと騒ぐでしょう(笑)。電車利用の方は福島、 米沢乗換えでお願いします。
A 「峠」と聞くと「釜めし」と連想してしまうほど有名な駅弁。碓氷峠、信越本線の横川・ 軽井沢で製造販売です。高度成長期の「余暇・別荘は軽井沢」という時代に、「峠といえ ば釜めし」の連想が定着。残念ながらこの連想ゲームで逆転はできないなあ。ごく稀に 「なぜ釜めし売ってないの?」と食い下がるかたがいらっしゃるが「店を間違ってます。当 店は鉄道開業時より駅で餅を販売しています。釜めしは信州です」としか言えない。旅に 出る前に予習をしっかり! ## 5代目の回想�B ## ![]() でわいわい、あっという間にお餅をたいらげていた。そんな時代もあったんだなあ。 [6] ## 駅立売り(窓越し販売)文化を残したい‐そんぴん5代目熱く語る ## いきなりですが、急速な高度成長および合理化の号令のもと伝統や文化は淘汰されて いきます。例えば、新幹線延伸で便利になり、寝台特急が消えかけています。致し方な いことかもしれません。明治以降、躍起になって山奥の鉱山・木材集積所から港の貨物 船まで血管のように敷かれた鉄路はこれまたクルマ社会の中で毛細血管が次々消えて います。数少ないローカル線(鈍行という意)の利用者は車の免許を持っていない層。す なわち、学生・病院通いのお年寄りなどです。峠駅は県境に位置するゆえ、県をまたぐ 通勤・通学・通院者はさらに少なく、今後電車本数が増えることはまずないでしょう。利用 者減と電車の減と。どちらが原因でどちらが結果なのか。まさに「ニワトリが先かタマゴ が先か」。 ![]() さて、「えきなか」や「新幹線車内販売」「駅弁大会などの催事」をよそ眼に、全国の駅 から駅ホーム立ち売り(窓越し販売)がなくなってきています。時代ゆえといえばそれまで でしょう。時短の時代、駅に電車はのんびり止まっていません。安全重視の時代、車両 の窓も換気できる程度にしか開かず、「窓越しに売り買いするほのぼのとした旅窓」も過 去のものとなったようです。駅立ち売り(窓越し販売)は、売上追及の目線から見れば非 効率・不採算部門なのです。車内販売や往来の多い駅での出店なら「販売可能時間の 制約」を気にすることもないのですが………。自分は家業をモクモクとこなしてきました。 ごく普通のあたりまえのことです。ですが、気づけば同業者が次々廃業しちゃって、自分 たちの「昔ながら」の駅立ち売りが「今時珍しく、目新しく見える」世になったのです。有る 筋から聞いた話によると、JR他社や私鉄三セクを完全に把握しきれないもののJR東日 本管内において駅立ち売りをおこなっているのはもはや我々だけとのこと寂しいかぎり。 ![]() かし、谷もあれば山もあり。トータルでみれば事業を断念するほどでもなし。幸いなことに 当店は個人事業であり続けた、事業規模を大きくしなかった故に125年の間、駅立ち売 りを続けられました。 自分は、幼稚園から高校卒業まで汽車通学を13年続けました。ということは…。当然 峠駅から汽車に乗るわけですから、毎日親の職場が視界に入っていました。しかも、登 校時(峠発)は購入されたお客様の反応を見ることができ、下校時(峠着)は購入しようと して車内で動き始めるお客様が見えたのです。お客様は「売っているか、買えるか」を気 にされ、自分は「ボク餅屋の息子だよ。お父ちゃんとお母ちゃんが売っているはずだよ」 と言いたいものの、「もし、駅に立っていなかったらお客さんガッカリするだろうな」などと 考えて、なかなか声をかけられなかったことを思い出します。子供のころから、売る側と 買う側を見てきたのです。そんな原体験を持つゆえ、1年365日駅立ち売りに出るのを 厭わない、「売れる売れない」ではなく「駅立ち売り」の行為そのものが大事と思うわけで す。 「商いは牛のよだれ」「商いは飽きないで」とばばさまに言われ育ったその言葉が最近 特に染みるのです。今後ますます鉄道事情も変わるでしょうし不透明な部分は多いので すが「願わくば、駅立ち売り(窓越し販売)文化を残したい」真摯な思いです。 ![]() ## 「駅立ち売り文化」をスタンプのテーマに! ## ![]() 2026.10.7 鉄道の日を前にスタンプ完成。 ※注意 「駅スタンプ」ではありません。「駅立ち売り文化を伝えたい」の思いを皆さん の手元に届けたい・紡ぎたい・拡散させたい・思い起してもらいたいと考えて、至った答え が「スタンプ」。今年、「峠の力餅立ち売り125周年」にあわせ用意しました。 「店のスタンプ」ではなく「商品のスタンプ」でもない。「駅立ち売り文化を詰め込んだ旅 情スタンプ」です。ぜひ「スタンプ帳」をお持ちでご来店ください! 外部リンク 投稿動画 1987年のテレビ取材(5代目10歳のとき) ## 5代目の回想�C ## ![]() ※山形新幹線開業前は線路の幅が狭軌だったから、いろんな列車が走っていたんだ。 貨物列車は無論、寝台列車、ミステリー列車やイベント列車。年末年始には山形県南陽 市にある 東北の伊勢「熊野大社」参拝客を運ぶ臨時列車「冬将軍号」が峠駅に停車し たんだよ。結構長い時間停車していたなあ。列車が旧峠駅に進入してから慌てて立ち売 りに向かって、それでもそれなりに売れていたんだ。まあ小さなお友達には「神様より大 福もち」だったかな。 [補] ## 重箱の隅 ## ※1 当店の正しい住所(?)は、米沢市大字大沢。大沢地区には大沢駅、峠駅と2つの駅があるわけです。(それ だけ、蒸気機関車に負担のかかる山越えだったということ)つまり、峠駅の住所も大沢。さらにいうと、小字(こあざ) は冷水沢といい、当店の下を流れている沢(駅を建てる土地をつくるために埋められた)の名前がついています。峠 の文字は出てきません。ここから導き出される結論、 �@「峠」という駅はあるが、正しく言えば「峠」という名の土地ではない。 �A私〈5代目)は、「分かりやすく言えば峠に住んでいる」わけで、市役所の台帳には「大沢に住んでいる」と書かれ ているわけです。 ややこしいのですが、印鑑を捺す必要のある重要な書類には、正しい住所(!?)大沢848. 「峠」を前面に出す営業用の分かりやすい住所(!?)峠駅前848 といった感じで使っています。 峠ー大沢間、電車でわずかに5分。しかし車だと20分以上悪路を運転しないといけません。冬は道路が封鎖される ので大きく迂回して約50分。同じ地区内なのに50分かかってしまいます。この辺の地理に詳しくない方が大沢駅前 で峠の茶屋を探してもみつかりっこありません。そんなわけで2つの住所を使い分けしています。郵便物はどちらを使 っても届きます。そのあたり融通がきくのはいかにも田舎だなといった感じです。もっというと、郵便番号さえ正しけれ ば、「峠 餅屋」3文字だけで郵便物が届くことも。なにしろ、近所は1軒だけですから…… ![]()
2016.9.8四訂
2026.10旅情イラスト挿入
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